【 820 】 尊敬する恩師へ

いままでも、これからも尊敬しています。

(すみません。今日は長くなります。)

人生には、恩師と呼べる人は何人いるのでしょうか。
私が尊敬し、そして、感謝しかない恩師が先日、94歳で逝かれました。
神奈川の、いや、日本の福祉の第一人者であり、熱き想いがある方でした。
(でも、最初は、オーラというか雰囲気も半端なく、語り方も怖かったのをよく覚えています。)


1)初めて出会った日
 初めてお会いしたのは、1992年11月13日。
今から30年前のことです。
しかも、会った場所は、地元神奈川県ではなく大阪での研究大会でした。
私は、「ショートステイについて」に発表し、園長は、助言者として登壇されていました。当時の私は、入職2年目あたりで経験も浅く、発表の後の参加者からの質問に答えられず「???」という感じでいました。すると、「その質問については私のほうで答えましょう・・。」と助け船を出して、その場を乗り切らせてくれました。


 発表が終わると、私のほうに来られ、「阿部くん、君はいま何歳なのか?」と聞かれました。年齢を答えると、頷きながら「とても良い発表だった」と褒めてくださいました。後日、施設に戻り、この事実を施設長に報告すると、「あの人は、神奈川県の老人ホーム協会の会長で、全国でも有名な施設の施設長さん」と教えられました。
 若く、無知だった私には、事の重大さは理解できず、「質問に答えてくれて、発表を褒めてくれた方」という印象にとどまりました。

2)折に触れて気遣いをいただきました
 それからは、折にふれて気にしてくれていました。過日の大阪から私は直接にお会いすることは多くなかったですが、当時、働いていた施設の施設長を介して、「園長が、阿部くんは元気?成長してる?」という言葉をいただいていました。

 出会ってから、15年が経ちました。
私が15年お世話になった職場を辞めて、次の職場で2年が経った頃。
特別養護老人ホームの施設長を拝命しました。ある日の夜7時ごろ。見覚えのない携帯電話の番号からの着信。(実は友達と飲んでました)。恐る恐る電話に出ると、聞きなれたあの低音、一気に緊張感が走り・・「時田です。
施設長になったと聞いて、どうしても直接にお祝いをいいたくて」と、わざわざ電話をかけてきてくださりました。そして、ハガキも下さりました。
本当に嬉しかった。気にかけていてくれていることが何よりも嬉しかったことを覚えています。

 出会ってから、18年が経ちました。
私が、神奈川県介護支援専門員協会の理事長を務めているときに協会10周年を迎えました。その記念パーティーに駆けつけてくださいました。「阿部くんに呼ばれたら来ないわけにいかないよ」と、私を引き立てる言葉で優しさをいただき、ご挨拶をいただきました。

3)私の起業に向けて
 2015年10月に介護の未来を設立したのですが、2015年の夏の日のこと。電話が鳴りました。電話をとると園長でした。「今の職場で何年になりました?よく頑張った。そして、阿部くんは、いつか起業すると思っていた。だから、うちの法人とも一緒に仕事をしてほしい」というものでした。
 これは、本気1割、助け船9割だと私は思っています。起業すると言っても仕事が数多くあるわけでもなく、経営も大変だろう。そんな園長の優しさだと私は思っています。そういう優しさのある人なのです。だから、感謝しかないのです。


4)それって遺言ですか?
 最後にお会いしたのは、もう3-4年前かもしれません。食事をご一緒しながら会話したことを覚えています。お酒の力も手伝い、本当に色々な話しをさせていただきました。その時の会話の中で、これからの世の中のことや高齢者ケアのことをたくさん話しました。その時、私は「園長、それって遺言ですか?」と何とも失礼なことを聞きました。すると園長は、満面の笑みで「阿部くん、そうだよ。僕の遺言だから受け止めて!」と言われました。
あの言葉は私が現役でいる限り忘れませんよ園長。

あの日から30年。恩師が逝きました。
ここまで、園長との思い出を自分なりに思いつくままに書きました。

今までも、これからも園長の数多き教え子の末席でいさせてください。
感謝感謝と言い聞かせながら、それでも、泣けてきます。
また、いつの日かお会いしたいです。そして、「よく頑張ったね」と褒めてほしいです。若い時から生意気な私が、「褒めてほしい」と思える人。そんなことを感じさせる大好きな恩師なのです。

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